「あぁ、死にたい…」死にたいくらい我慢してるなら学校や仕事辞めちまえ論

こんにちは。ぷにんたです。

今回、こんな投げやりかと思われるブログの題名ですが、人の命を助けるための記事です。未来の貴方の命や、貴方の周りにいる人の命を救う記事になります。一生使わない知識かもしれないし、近いうちに使う知識かもしれません。

とても大切なことをお教えします。

 

私は仕事を辞め早4ヶ月?経過したニートです。まだ鬱病治療中ですが、だいぶ心身共に健康的になってきました。

復職せず仕事を辞めてゆっくり休んだおかげなのかなと思いますが、今回書く記事の内容を心に留めることができるようになったからだと感じます。時間と心の余裕が出てきたなと感じられるまで回復しました。仕事辞めてもお金に困るだけ!と思っていたら、私が見ていた世界が狭いだけで実際そうでもありませんでした。勿論収入はありませんが…。

収入がないから生活できない!だから仕事辞めれない!そんな方もいらっしゃると思います。私もそう思ってましたが、今のところ貯金を切り崩しながらも生活できております。

ニートを量産する言葉を発信したくはありませんが、貯金がなくとも病気で仕事を辞めた時生活できるようにつくられた手当があるのです。大丈夫です、生きられます!

「死にたい」と考えたことありますか?

今回は「死にたい」という言葉についていろいろ考えていこうかなと思います。

とっても大事なことを書きますね。

いつ「死にたい」と思うか

皆さん死にたいと思う時は人それぞれです。「あぁ今日も楽しかった!死にたい!」と思う人なんていないはずですよね。いつ死んでもいいくらい幸せ~と思う時はあると思います。本当に幸せなのでしょう。

もちろん「死にたい」と思う時は気分が落ちている時

虐められてるし生きている意味あるのかな、自分の存在価値ってなんだろう、なんでこんな見た目に生まれてきたんだ、あぁ本当に生活が大変だ困ったな、仕事が忙しすぎてやだな辛い、なんて考えますよね。

これ自分次第でぜーんぶ解決できちゃいます。ただし甘い考えは抜きで。

「死にた~い」と人に発言できるうちはまだ踏ん張って生きられます。しかし誰にも相談できず「いつ死のうかな」「どんな死に方が一番楽かな」とぼんやり考え始めたら本当にヤバイです心と体。どちらも死と隣り合わせにあります。しかもそれだけ追い詰められていても、そういう人は明るく振る舞います。

そしてぼんやり死の計画をし始めます。

私はここまでやりました。

死にたくなったら無理するな

今回の題名に掲げたテーマです。

“死にたいくらい我慢してるなら学校や仕事辞めちまえ論”

だるいから、行きたくないからと思うなら辞めろ、ということは言っていません。ただの甘い考えです。死にたいくらい辛い状況まで追いつめてくる環境からは離れた方が身のためであると伝えたいのです

自分が持っている病気が進行し、医師から「このままでは死の危険が」と言われることで自分は死が近いんだとわかりますが、心の病気ではそれは目に見えてわからず、医師もそう告げることもないでしょう。

自分の存在価値を考察しても尚「死にたい」と思った時は死にたくなる原因を断ち切ればいいんです。

 

『そんな簡単に言わないでよ…』

そう思いませんでしたか?

学校に自分の命をかけますか?会社に自分の命をかけますか?

命は一つ、その時限りの時間しか生きられない

今この時を生きられるのは貴方の体にあるその命です。生まれ変わる前の記憶がない限り、生まれ変わりなんてないんです。かけがえのない命であり、この命に代わりの存在はいません。

“学校でイジメにあってるけど学校に行かないといけない” “会社を休んだら他の人に迷惑掛かる”

その気持ちを持てるということは、行動に、やっていることに責任感を感じている証です。とても素晴らしい考えです。

しかしそんなに苦しめてくるものに命を投げ捨てていいんですか?

 

勿体ない。

 

命に代わりの存在はいないとお話しましたが、学校や仕事では他に代わりはいくらでもいます

実際私が「死にたい」と心が悲鳴を上げていた時、私だけがやってきた仕事がありしかも人手が足りなくて皆ヒィヒィ言っている最悪なタイミングでした。休職させて貰う時に上司に「代わりはいるから大丈夫だよ、仕事のことは考えずゆっくり休んで」と言って頂きました。正直代わりがいることに寂しさを感じましたが、今になってみると「命を助けられた」ととても感謝しています。

もしかしたら貴方を苦しめる会社はこんなに素敵な上司ではなく毒物みたいな人かもしれませんが、心療内科で貰った診断書を毒上司に叩きつければ貴方は確実に休職できます。確定です。(もしかしたら上司は貴方のために嫌な役を演じているだけかもしれません。)

というわけで、

いつのタイミングで精神科行く?

どうしても負の感情が抑えられず、学校や会社に行くのが辛い時はまず病院へ行きましょう。いや、そうなる前に病院へ行くのがベストです。

私の場合は仕事へ行く前になると過呼吸になってしまい、会社に行きたくても行けない状態になってから精神科を受診しました。私の場合はです。本当に人によって感情や症状は違います。(私が鬱病と診断されるまでのことを書いている記事もありますので、気になったら後でお読みください。)

この病院に行くタイミングの指標は難しくて、私もこれといっていつがいいと伝えることができませんが、心の悩みが体に出てきた時は鬱病になっているサインだなと感じました。

鬱病のサインとは体がだるくてうごけないとか、物事に興味が薄れたとか、心からモヤモヤっとしたものが出ている感じとか様々ですが、笑えないのは結構鬱病になるまで近いです。

とにかく「死にたい」と頭で考えるようになったら一度病院に相談しに行きましょう。当日カウンセリングをやってくれる病院もあるので、重い体を起こして病院の予約だけでもしてみませんか?

何故私がこんなにしつこく語るのか

私の父は自殺しました。父の自殺について書いてある記事があるので知ってる方もいらっしゃるかもしれません。気になる方は後で【小説】薬漬けで、記憶が消えた。6年前の私の行動がヤバ過ぎるという記事を読んでみてください。

父は心の病気でした。誰もその病気に気付くことができず、父は1人で思い悩んで死を選択しました。

父が自殺する数日前まで連絡を取り合っていましたが、少々暗かったものの私に明るく振舞おうとしていました。それに死んでから気付きました。父は「死にたい」と一言も発しませんでした

父の自殺によって周りの人間はもちろん悲しみ、私は鬱になり何度も「死にたい」と心の中で呟いていました。自殺という言葉を聞いただけで頭がおかしくなるんです。本当にヤバいとこまで行きました。

 

このように自殺というのは、自分で死を選択するということは、周りの人が悲しみ、自分を責め、死の連鎖を生んでしまうということです。

“「死にたい」と思うなら死ねばいい ”

そんな無責任なこと私は言えませんし言いたくもありませんし思うわけがない。言ってはいけない言葉です。

他のブログやSNSには親切心を思ってそう書いているかもしれませんが、死を間近で感じたことのない人かもしれません。一瞬その言葉で楽になれる人もいるかもしれませんが、そんなの一瞬です。そんな言葉聞いちゃダメ。

私が言いたいのは

“「死にたい」と思うなら、死にたい原因を絶って楽に生きろ ”

ということです。楽に生きろというのは楽して生きろという意味ではなく、心を楽にして生きろという意味です。

苦しめる学校や、会社、もしかしたら借金など他にも原因があるかもしれません。

日本という国は意外にも皆が生きやすいような制度や仕組みがたくさん転がっています。(どうにも生きられそうにないという方々の為に、私は役所務めでもないので調べた結果になりますが、そういった制度について発信していけたらなと思っています。ブログ書くの遅いのでごめんなさい。)

学校に行って自殺を考えるくらいなら学校を辞めればいい。会社がキツくて死にたいくらいなら仕事を辞めればいい。毒親で虐待されるくらいなら隙を突いて家を飛び出せばいい

今回はそれが言いたいです。

まとめ

もし貴方が悩んでいたり、貴方の周りで悩んでいる人がいたら原因を絶つことを提案してみましょう

「死にたい」と言う人には優しく「楽に生きてみたら?」と提案しましょう

「大丈夫?」なんて言葉を掛けてはいけませんよ。大丈夫じゃないのに、壊れかけている自分の心を殺して大丈夫と答えてしまうので。「大丈夫」と言えるのは健康な心を持っている時です。

今回私が書いた原因を絶つという漢字に含まれる「絶つ」は「断つ」ともとれますが、2度と死にたいと思わなくなるように「絶つ」という言葉を選びました。

この記事で助かる命があればと思っています。

それでは次回!

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