【岐阜のマチュピチュ】恐怖のあまり左足が下山を諦めた話(高所恐怖症)

こんにちは。ぷにんたです。

岐阜のマチュピチュご存知でしょうか。山の上に茶畑があるのですが、その茶畑が空に浮かんでいるかのような茶畑です。要するに天空の茶畑。

結局は茶畑なのですが、岐阜のマチュピチュというくらいなので相当壮大な景色が見られるのだろうという想像が私の心を駆り立ててきたので行かざるを得なくなりました。

今回はそんな茶畑を見たいという願望の故に起きてしまったある出来事をお話します。

岐阜のマチュピチュで失った左足

今日は桜が満開だ。冬には細々としていたどの木を見ても自信に満ち溢れているようだった。今日は花見を1日楽しむ予定で岐阜の様々な花見の名所を訪れては出店のチョコバナナを楽しんだ。そう、私はチョコバナナに目がない。

しかし私はチョコバナナという存在がありながら、あるポスターにふと目を奪われてしまった。

岐阜のマチュピチュ』

あの世界遺産のマチュピチュというのは写真で見た事がある。天空に浮かぶ大地のようで、人生で1度は行ってみたい世界遺産だった。それが岐阜にあるだと…?私の1年程封印されていたすさんだ心が久々に踊った。これは行くしかない。

天空の茶畑という程岐阜県が豪語するのだからさぞかし美しい景色なのだろう。そう期待した。

 

まさか私が天空に召されることになるとはこの時思いもしなかった。

 

着いた。

ここより天空の遊歩道を歩いてあのマチュピチュが見られる絶景ポイントへ向かう。

脳汁がじゅわっと出ている。心が踊っている。世界遺産まで歩いて15分。マチュピチュがみられるなら引きこもりニートでも歩ける…行けるぞ….!

そう確信した。

桜が満開である今日。天気も良くて少し風が冷たかったが過ごしやすい天気だった。が、しかし天空の遊歩道へ入った瞬間パラパラと雪が降ってきた。

コストコの野菜コーナーに入った時くらい急に寒くなる。淡水魚が海水に入った時のように体がびっくりした。そうか、だいぶ標高高いもんな。

そう感じながら歩き進めると段々道が狭くなり砂利道が続いた。

左を見れば山肌が見え苔が生え、今にも野生の熊が現れそうな空気感。右を見れば急斜面の林。道は広いが足がすくんだ。

….左を見たら死ぬ

身の危険を感じた。天空の遊歩道…?まさか、死に続く道なのか?

更に雲行きは怪しくなりいつの間にか完全に舗装されていない道になった。

Aコース、Bコースの分かれ道に出た。

Aコースは緩やかな上り坂、Bコースは不安定な急な階段であった。Bコースを行けば即席で作ったような木の棒を地面に埋めただけの階段が続く。きっと階段を作るのに相当な手間が掛かっているだろうが、手作りにも程があるだろとその時はキレ気味だった。この階段に命を委ねられない。私は迷いなくAコースを選択した。きっとこの選択には間違いないだろう。そう思った。

Aコースを選んで正解だった。緩やかな上り坂。しかし右側は相変わらず急斜面である。1歩間違えればこの山に飲み込まれて死ぬ。

私の顔は無意識に左を向いて歩いていた。私の歩く姿はむち打ちにあった怪我人のように写っていたと思うが、平日の昼間で他に人がいなかったことが幸いだった。

 

Aコースを進んでいくと何故か目の前にはBコースがあった。

何故だ?道は間違えていないはず。

道は間違えてはいなかった。Aコースを進んだ先にBコースのような階段が待ち構えていたのである。Aコースしか注文していないのにここで粋な計らいはやめてほしい。しかもBコースの階段よりも、たくさんの人間の足によって踏まれてきたその階段は今にも崩れそうなのである。そう、この階段に私は命を託さなければならない。

マチュピチュがみられるならここで踏みとどまってはいけない。

自分の気持ちを奮い立たせて進む。3段上がって足が止まった。終わりが見えない。怖い…怖すぎる….。しかしそれではマチュピチュをこの目で拝むことができないのだ。折角ここまで来れたんだ、行ける。後ろは見るな。

精神だけではなく引きこもりニートの体力をも奪っていくこの階段に私の心はマチュピチュなのである。

あともう一息というような看板が確か立っていた。この言葉に救われながら更に上を目指した。

展望台。見えた。絶景ポイント。あと10メートル先。最後の試練であるかのような急な階段に私はこれ以上足を進められなかった。

しかしマチュピチュはあった。確かにマチュピ….

あと10メートル上からの景色は見れなかったが、もう上から下を見る余裕はないし、場所が場所なだけにマチュピチュを感じる程の心のゆとりはない。とにかく下を見る余裕がないんだ。今日は桜が満開なんだろ?なぜ私はここにいるんだ?

 

しかも私はとんでもないことに気が付いてしまった。

ここから降りなければいけないのである。私からしてみればここは絶景ポイントならぬ、絶叫ポイントである。

私の死亡は確定だ。

そうだ、救急機動隊を呼んで助けてもらおう。いや、ヘリコプターを呼ぼう。そうだ、ヘリだよ。100万くらいいい。それよか命が危ないからだ。本気で考えていた。

私の足は生まれたての小鹿の如く、いや、コンクリートを固めるために幾度となく地面を叩きつけるあの機械の如くガタガタ震え、体は制御不能と化していた。遠くから声が聞こえる。天空から迎えが来たのか?いや、違う、観光客の声だ。こんな恥ずかしい姿を見られてはいけない。

私は降りる決心をする。

止まるんじゃねぇぞ…

1歩。片足出すが、もう片足が出ない。足元にある草木や即席階段を支える木の棒にしがみつきながら1歩1歩確実に、地面を確かめながら降りていく。いいぞ、その調子だ。

しかし足がおかしい。頭も湧いてきた。いつもと違う。何かが違う。額から眩いばかりの閃光が入ってきた。頭頂部が熱くなった。なんて熱さだ。耐えられない。麻原彰晃のように空中浮遊する力が欲しいとまで感じた。

左足に力を入れすぎて、神経が麻痺してきた。海の魔物に襲われた時の蟹のように、身の危険を感じた私は左足の神経を無意識のうちにぶっち切り左足をどこかに置いてきたようである。

もう左足は動かない、右足に託すしかない。無我夢中で両手をついて地面を這い、下を見ぬように後ろ向きで降りた。その姿はまさに、ダサい。昆虫のようである。そしてなんとか降りた。いつの間にか泣いていた。

行きで20分掛かったのが帰りは1時間だった。

Aコースに戻った時には左足の感覚はなく、自分が今生きているかどうかさえよくわからなくなっていた。高所恐怖症とは本当に厄介だ…私はマチュピチュには行けなさそうだ。

岐阜のマチュピチュ。特に夏は綺麗だと思う。

 

結局何が言いたいかって、

山には登れんわ。

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