【歴史】歌舞伎座の建造物のおもしろさ.~歌舞伎の魅力だけじゃない~

 
こんにちは。ぷにんたです。
 
 
とある通院で東京へ行きました。病院だけでは一日が勿体ないので、日本伝統である歌舞伎を観たいという思いつきで、銀座の歌舞伎座まで足を運びました。
 
 
▼歌舞伎座
 
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高いビルたちが聳え立つ中、ビルに負けない存在感、いや、道を通れば必ず目に留めてその姿をデータになんとかして残そうと奮闘する程の存在感を放っているのがこちらの建築物。
 
歌舞伎座では歌舞伎が観られる場所というだけでなく、こちらの建造物自体にもおもしろくて深い歴史があるのです。
 
演劇改良運動に奮闘し日本一の大劇場を目指し歌舞伎座を造り上げたのは福地源一郎です。

福地源一郎って何者?

 
福地源一郎はイギリスの学問や英語を学び翻訳家として務めますが、慶応元年に幕府の使節としてヨーロッパへ赴いたことでロンドンやパリで刊行される新聞を読み西洋の演劇に興味を持ち始めたことから始まりました。市川團十郎中村宗十郎らと演劇について熱く語り合い、当時の歌舞伎座が生まれたんですね。
福地源一郎は武士であり、作家、劇作家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)とかなりの奇才です。
 
 
1889年明治22年11月21日より銀座に歌舞伎座が設立されてから度重なる災害によって幾度も改修工事が行われています。
 

歌舞伎座の歴史とは

歌舞伎座は1~5期に渡って建て替えられました。約120年間でどういった変貌を遂げたでしょうか。
第1期
外観が洋風の3階建ての歌舞伎座が建てられますが、老朽化帝国劇場の出現により22年間で幕を閉じました。
第2期
明治44年10月より歌舞伎座の建築物の雰囲気そのものをがらりと一変させ、日本風の宮殿風に仕上げました。大正10年10月漏電により歌舞伎座は焼失しています。しかしこの第2期より約100年間建物の外見は殆ど変わらず残っています。
第3期
焼失によって建築物の再構築が行われますが、関東大震災の影響で工事は一時中断され大正13年12月に終工しました。しかし昭和20年5月東京大空襲による戦禍を受けまた焼失してしまします。
第4期
歌舞伎座の基礎や側壁の一部を利用し修復し、昭和25年12月に終工します。第3期の姿を残しつつも設備を取り入れる等より近代的に仕上げています。約60年間愛されてきましたが、老朽化により建築物建替えで休館します。
第5期
平成25年より開演再開。第4期の姿を成るべく再現しつつも、オフィスタワーを併設させ、エスカレーターやエレベーター設置をすることにより近代的な建物へと生まれ変わりました。
こうして何度も建て替えられていますが、歴史的建造物として形を残したまま時代と共に変わっていく歌舞伎座の姿がとても美しく、より鮮明に時代を感じさせてくれます。
 
MEMO
平成14年には登録有形文化財に指定され、日本の遺産として残されつつも、歌舞伎は今も尚直接目で観て体で歴史や文化を感じることができます。

ステージはこうなっています

 
▼歌舞伎座のステージ
 
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私は4階の一幕見席でしたのでステージまではこのような感じで観ることができました。上から見下ろす感覚です。真ん中より左あたりに花道がありますが少し見にくいので、役者の登場場面が見られず拍手が遅れてしまいました…
 
内装は思ったよりも現代的でステージにかかる照明もライブで使用するような立派なものでした。
 
席はクラシックの音楽ホールのようにゆったり座れるようになっているため、心地よく見られます。
 
席を外せなかったため、他の階の様子をお見せすることができませんが、また次回行った時に更新致します。
 
公演の感想まで書くととても長くなってしまいますので、次回ブログで公演について書くことにします。
 

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